まけずの鍔の由来
桶狭間の合戦に先立ち、信長は、熱田神宮に戦勝祈願に詣でた。信長が神殿に向かい、永楽通宝の一握りをぱっと空高く投げ上げたところ、通宝すべて表を向いた。三千の将兵皆天佑神助を信じ、勇気百倍、ついにこの大戦に勝利した。これより信長は、愛刀の鉄鍔にこの永楽通宝をはめ込み、以後向かう所敵なく、連戦連勝し、天下の名城安土城を築いた。よって、世の人伝えて、「まけずの鍔」と言う。
由来原文
桶狭間の戦は、一しゅんにして、東海の雄今川義元を此の世から消し二十七才の青年武将織田信長を天下の名将となさしめた、戦に先だち信長は、熱田神宮に詣でて戦勝の祈願をこめた、時に神殿よりながれくる鈴の音と異様なひびき、信長は「神様がお答へ下さったぞ」と更に声はり上げて「神様、願わくば我軍必勝を目に物見せ給え」と永楽通宝の一握りをぱっと空高く投げ上ぐ、結果如何と衆皆目を見はれば通宝全部表をむけて地上にあり、信長は「あゝ有難や我軍勝てり」とよばわる三千の将兵皆天佑神助を信じ、勇気百倍、遂にこの大戦果を挙ぐこれより信長は、己が愛刀の鉄鍔の表裏に永楽通宝を銀象嵌にて表したり信長の向う所敵なく連戦連勝天下の名城安土城を築き、覇業の礎をつくる、よって世の人伝えて「まけずの鍔」とよぶ現在国の重要文化財となり安土城址そう見寺に蔵す。
弊舗万吾樓
代々業をこの地に承けこの鍔の由来が一部の史家と愛刀家のみに知られていることを遺憾とし汎く世にご紹介申上度と存じ夙に之を発案して研究を重ねる事幾歳、茲に家業たる製菓に応用し発売いたしました処史蹟来訪の士や観光客から殊の外喜ばれ又都会地向けお土産品としては最も郷土色豊かな銘菓として御賞讃を博するに至りました。尚種型は凡て拓本による鍔そのままで滋味に富む当地産原料を使用し丹念に焼き上げたもので芳香豊かにして特に日持ちよき逸品で御座います。何とぞ酒前、酒後の友として御旅行の徒然に御愛用の程聊か由来を述べて信長公戦国の偉業と共に語り草として偲ばれますなれば望外の喜びと存じます。
万吾樓主人敬白